11/12/24

 KCPは出会いの場

 養成講座を受講していると、そうだったんだ!と、気づくことがたくさんあります。

いつも日本語を使っているにも関わらず、日本語に関して気づいてないことが、なん

と多いことか。

 音声学の授業で習ったのですが、日本語の「ん」の発音の仕方は、いくつもあるそ

うです。 たとえば、

「しんぶん(新聞)」の「ぶ」の前で発音されている「ん」。

「しんぶんと雑誌」の「と」の前で発音されている「ん」。

「しんぶんか雑誌」の「か」の前で発音されている「ん」。

それぞれ違うんですと説明されて、そのことを初めて知りました。

音声学の授業では、このようなことを国際音声記号なども使いながら学んでいきます。

 

 それから、中学校などでは動詞や形容詞の活用は、「未然形」「連用形」「終止

形」・・・・などと習ってきました。ところが、日本語文法や指導法演習の講座を受け

る中で、「ます形」「て形」「ない形」・・・というものが出てきて、そういう風に教

えるんだ~と初めて知りました。きっと、外国語として日本語を習う人にとっては、こ

ちらの方がわかりやすいのでしょう。


 当たり前ですが、講座を受けて、初めて知ることがたくさんあります。

このほかにも社会言語学や認知言語学、第二外国語学習理論、日本語の歴史など、日本

語の教え方の講座に加えて日本語に関する科目を学習する中で、新しい知識や考え方に

出会う機会がたくさんありました。

 

 そして、少人数なので、難しいことには、たくさん質問をすることが出来ました。

変な質問もしてしまいました。学生への授業の中では、先生方もきっと冗談を交えるに

違いない。でも、初中級の学生たちに、「親父ギャグ」を言うようでは、学生を混乱さ

せるし、そもそも伝わらないだろう。そう思って、冗談はどのように言うのでしょうか、

と聞いてみたのです。こんな質問にもかかわらず、その先生は具体例も交えて、こんな

風に言うこともできますよ、と教えてくださいました。各講座のどの先生も質問には、

ていねいに返答してくださいます。

 

 KCP学園に来ると、いろんな出会いがあります。

熱心に学生たちを教えている先生方。一生懸命に、また苦労しながらも日本語学習に一

生懸命に取り組んでいる学生たち。いっしょに養成講座で学ぶ同期生の方々。

そしてもうひとつ、普段は気づかない「新しい日本語の姿」にも出会うことができます。

こんなに多くの出会いとともに、楽しく学習を続けることができるのはたいへん有意義

なことだと感じています。                              

                                    (A.H)

 

 

10/23/24

 

実践的な模擬授業ラボと

   即戦力に押し上げる教壇実習


 私は60歳定年後の新たな人生として日本語教師を目指しています。慣れ親しんだ会社で雇用延長で働きながら、通信で日本語教師養成講座を受講しています。

 座学は、オンデマンド(動画視聴と確認テスト)ですが、模擬授業ラボと教壇実習は、通学して受講します。KCPの演習や実習は厳しいが役に立つと伺っており、今回、ドキドキしながら初級クラス向けの演習と実習に参加しました。 模擬授業ラボでは、ベテラン講師から授業の目標設定、教案の作成及び授業の進め方の指導を受けます。何もかも初めての経験ですが、特に教案作成は大変でした。
会社を終え帰宅してからの作業となり、深夜に及ぶこともありました。ようやくできた教案に基づいて、模擬授業を行うことは難しく何度もやり直し、学生の誤用や学生からの質問を想定した講師への対処を何度も繰り返しました。これらを通じて、少しずつ授業の進め方を体得し、日本語教師としての心構えを学ぶことができました。

 教壇実習では、実際の授業に参加し、クラスを担当する3人の講師から授業の実践方法を学んだり、自ら授業を担当したりしました。毎日、当日の経験をレポートに気づき事項を添えてまとめ、担当講師からレポートの内容や自身の授業内容について、フィードバックをいただきました。フィードバックの一つ一つが、日本語教師としてステップアップに役に立つ内容でした。また、クラスの学生達とのコミュニケーションを通じて、各人が日本語を習得して達成したい夢を伺いました。少しでも夢の実現の助けになりたいという気持ちを強くし、日本語教師の役割や、やりがいを再認識しました。教壇実習を終了した際には、自身で授業を完遂できたことに安堵したとともに、達成感も味わいました。

 日本語教師養成講座も全体の半分を終え、折り返し地点まで来ました。今後も、クラブ活動、ボランティアなどに参加して、学校に行く機会を作って、学生、講師の方々及び同志の日本語講師養成講座の受講者の方々とのコミュニケーションを図っていきたいと思います。                              Y.Ⅰ

10/15/24

こんにちは。9月25日から養成講座を受講しています、受講生のTです。 

授業が始まってあっという間に2週間が過ぎました。 
私は他県からKCPの授業を受けるために引っ越してきたのですが、
最近やっと東京の生活と授業に慣れてきたところです。

この2週間では、世界で言語がどのような教授法で教えられてきたのか、
日本語の文法など基本的な部分を勉強してきました。 
下記の文章は、最近授業の中で出てきた一例です。

「子供が寝ている‘うちに‘仕事を済ませてしまおう」  
の文では、‘うちに‘を‘あいだ‘に変えることが出来ますが、

「子供が寝ている‘あいだ‘に夫が帰ってきた」
の文では、‘あいだ‘の代わりに‘うちに‘は入ることが出来ません。

 ‘うちに‘には「子どもが寝ている」という状況でないと、その後に続く動作が成立しないときに使うのです。 

この様に、日本人が普段何となく使い分けている言葉には、しっかりとルールがあり、
その細かなルールを頭の中でひねり出し言語化しながら学んでいます(結構難しいです笑)
教師になるためには、そのルールをしっかりと分かりやすく説明できるようにならなければ、と毎回の授業と自習の時間に再確認しながら学習に取り組んでいます。 

しかし、養成講座の先生方や事務の方々が優しく支えてくださるので、授業についていくのが厳しいと感じながらも楽しさも感じながら取り組むことが出来ています。 

また、KCPを選んだ理由の一つである、海外の学生たちが一生懸命勉強する隣で勉強できるというところが本当に恵まれた環境だと思います。

今日も始業式が終わって間もない生徒とお昼を食べながら談笑し、日本と中国の映画について話しました。 学生たちは、不安がありながらも日本語や日本のことを熱心に勉強していて、自分もやる気と勇気が湧いてきます。 

私も学生たちと「自分のなりたい先生」を目指して頑張りたいと思います。

9/24/21

コロナの影響で対面での実践練習の授業と実習がずれ込んで、9月末の修了予定が1か月延びて、修了までの残りの期間は約1か月半。教育能力検定試験もあるし、アッと言う間ですね。

さて、先日は「上級指導法演習」の授業を受けるに先立ち、日本語学校の上級クラス見学をさせて頂きました。語彙と文法の授業を見せていただいたのですが、本当にプロの先生方の授業はすごいの一言です。

M先生の日本語の滑舌の良さ、スピードの緩急、学生の発話を、新しい文法項目に落とし込んでジョークのような例文を作ってしまう経験値の高さ。その技術(才能?)を拝見するたびに、私も学生になったように引き込まれてしまいます。

今回は上級クラスという事で、講義形式の授業を想像していましたが、基本は初・中級と同じで、学習者の発話を中心に進めていくスタイルでした。しかし、話を展開する中でどんどん社会問題に繋がり、そういった視点と表現を養う訓練が入ってくるあたりは、さすが上級の授業だと思わされました。4技能をフル活用する、学生が楽しみながらの授業でした。

自分でもこんな授業をしたいと思うものの、上級ではその文法をどういう状況で使うか、発話者の気持ち、受け手の気持ちはどうかなど、教師も深く分析・勉強する必要があると、改めて考えさせられました。最後の「指導法演習」と「教壇実習」という大きな山! 
また教案書きが始まりましたが、最後まで頑張ります!

11/06/20

 KCPの養成講座を選んだ理由

私は来日して28年目の韓国人です。

学校を卒業してからは社会人として働いておりますが、いろんな国の外国人と接する機会が多い自分として効率よく日本語を教える力と、行き詰り到底伸びなさそうな自分の日本語能力に新しい息を吹き込ましたかったのでKCP日本語教師養成講座を通うことになりました。

こちらのKCPを選んだ第一理由としては、26年前、私はこちらの日本語学校の卒業生であることが言えるでしょう。

もちろん、日本語を学ぶことと日本語教師を目指すことは別のことですから、いろんな学校の養成講座の説明会に足を運び3か月におよび検討と比較の時間を持ちました。

他の養成講座の素晴らしいとも言える統計による実績のことは無視できないことと思いますが、個人的に26年前に日本語を教えてくださった先生達が未だに現役講師陣としてずらりといらっしゃることが何処とも比べるものにならない嬉しいことでした。当初、凄く献身的で尊敬せざるをやまない先生達にもう一度教えていただきたい気持ちが強かったのが、他の受講生の方と違う私だけの特殊な理由でもあります。

学生さんと日々身近に接し、直ぐに実践に移せる本物の授業ができることと信じ日々頑張り始めてあっという間に一か月が過ぎてしまいました。その一か月がすごく短く感じているのは、少人数制であって個人サポートも充実していたために、先生達と一丸となって走ってきたことに理由があると思います。

26年前と大分昔ではありますが、卒業生だからこそ自信をもって言えるKCPの先生達の良さは卒業してからの付き合いを通し更に実感できる機会はたくさんありました。今後も学校と企業との連携が上手く取れるところに役に立てればと考えております。

 

一点、

主な学習カリキュラム内容である、

言語学概論、日本語の音声、日本語の文法(初級)、日本語の文法(中・上級)、日本語教育法、世界と日本、評価・テスト、クラス見学、第二言語習得、認知言語学・心理言語、社会言語学、異文化・多文化理解と教育、日本語教育とICTなどのこの数ある授業項目が日々プレッシャーとして押してくることも事実です。現時点では実習に向けたいろんな準備で大変な時期がちらっと見えてきます。でも、学生たちの笑顔に励まされると信じ頑張りたいと思います。

 

さっそく明後日から3回目の指導法演習が私を待っています。

今夜も大きい鏡の前で若しくは撮影モードにしておいた携帯端末機の前で

役者に成り切ろうしている恥ずかしいとしか思われない自分の姿を

見続けることにします。明日は少し厚かましくなれることを信じながら、、、(S・K)

 受講一ケ月を迎えて思うこと

 

 11月になり、日本語教師養成講座の受講を始めて一ヶ月が

 経ちました。


 最初に受けたのは日本語文法の中上級クラスでした。このクラスでは、語用論や待遇表現など、日本語の様々な特徴や細かいルールを学び、普段何気なく使っている日本語がとても複雑なルールの上に成り立っていること、語彙や表現の多さを学び、日本語そのものの難しさを感じて、これをどうやって教えるのだろう?とこれからの学びが楽しみになりました。 


 また教育法の授業などもうけました。この授業では初めに日本語教育をはじめとする第二言語の教育方法がどのように研究され、発展してきたかを勉強したのですが、中でも印象に残っているお話が「日本語教育は植民地政策の中で大きく発展した。日本語教師はこういった悪い歴史的背景も分かってないといけない」というお話です。日本語を勉強する人が幸せになれるように、もっと勉強したいと思ってもらえるように、より楽しく力になる授業ができる先生になれるように、努力していきたいと思いました。 


残り五ヶ月、実習なども大変不安ですが、頑張ります。(A・K)

 

 

目からウロコ!の日々

10月1日からKCP日本語教師養成講座を受講して、約1か月が過ぎました。

私は主人の仕事の都合でアメリカに約3年住んでいて、この春帰国しました。移民の多いアメリカでは、無料で通えるESL(英語を第二言語として学ぶ人たちのための英語講座)が色々あり、そこに通ったり、ネイティブの家庭教師についたりして、英語だけでなく、異国での文化や生活についても教えてもらい、大変助けられてきました。私も同じように日本で暮らす異国の方々の手助けができたら、と思ったのが、この講座を受講しようと思ったきっかけです。

結婚して以来ずっと専業主婦だったので、通学と家事との両立ができるかが心配でした。朝、子どもたちを学校に送り出してすぐに自分も家を出なければならない、というのは確かに慌ただしいですが、幸いコロナの影響で在宅ワークが増えた主人の手助けもあり、なんとかやってこられています。

授業では、今まで当たり前に使っていた日本語を分析して、なるほどこの言葉にはそのような働きがあったのか、と驚きの連続です。教師としての立場からは、授業の進行表である教案の大切さを学び、今回の講座ももちろん、今まで自分が受けてきた学校の授業も、先生方は毎回、どのような目的をもって、どのような時間配分で、どのようなことをやるか、を綿密に計画して授業を組み立てられていたのだということを知り、先生ってすごかったんだ、授業ってすごかったんだ、と改めてそのプロフェッショナルな世界に感銘を受け、過去教えてもらった先生方に感謝したい気分になりました。めんどうくさがりの私にこんな教案作成できるようになるのかしら・・・。言語の教授法の歴史も学び、今まで自分が英語を学んできた方法も、このような考えが元にあり編み出された方法だったのか、ということがわかりました。実際KCPの学生さんの授業も見学させていただき、日本語を学び始めてわずか1~2年の留学生たちが流暢な日本語を使えている姿を見て、何十年も勉強してきたはずなのに、どうして自分は英語があまり上達しなかったのだろうか・・・?と、自分の語学力のなさを教授法のせいにしてみたり・・・(笑)

「当たり前」に使ってきた日本語、「当たり前」に受けていた授業、「当たり前」に習ってきた方法、それらが実は深い緻密な世界であったことを知る、目からウロコ!の日々を送っています。(Y・k)