2020年11月6日金曜日

 KCPの養成講座を選んだ理由

私は来日して28年目の韓国人です。

学校を卒業してからは社会人として働いておりますが、いろんな国の外国人と接する機会が多い自分として効率よく日本語を教える力と、行き詰り到底伸びなさそうな自分の日本語能力に新しい息を吹き込ましたかったのでKCP日本語教師養成講座を通うことになりました。

こちらのKCPを選んだ第一理由としては、26年前、私はこちらの日本語学校の卒業生であることが言えるでしょう。

もちろん、日本語を学ぶことと日本語教師を目指すことは別のことですから、いろんな学校の養成講座の説明会に足を運び3か月におよび検討と比較の時間を持ちました。

他の養成講座の素晴らしいとも言える統計による実績のことは無視できないことと思いますが、個人的に26年前に日本語を教えてくださった先生達が未だに現役講師陣としてずらりといらっしゃることが何処とも比べるものにならない嬉しいことでした。当初、凄く献身的で尊敬せざるをやまない先生達にもう一度教えていただきたい気持ちが強かったのが、他の受講生の方と違う私だけの特殊な理由でもあります。

学生さんと日々身近に接し、直ぐに実践に移せる本物の授業ができることと信じ日々頑張り始めてあっという間に一か月が過ぎてしまいました。その一か月がすごく短く感じているのは、少人数制であって個人サポートも充実していたために、先生達と一丸となって走ってきたことに理由があると思います。

26年前と大分昔ではありますが、卒業生だからこそ自信をもって言えるKCPの先生達の良さは卒業してからの付き合いを通し更に実感できる機会はたくさんありました。今後も学校と企業との連携が上手く取れるところに役に立てればと考えております。

 

一点、

主な学習カリキュラム内容である、

言語学概論、日本語の音声、日本語の文法(初級)、日本語の文法(中・上級)、日本語教育法、世界と日本、評価・テスト、クラス見学、第二言語習得、認知言語学・心理言語、社会言語学、異文化・多文化理解と教育、日本語教育とICTなどのこの数ある授業項目が日々プレッシャーとして押してくることも事実です。現時点では実習に向けたいろんな準備で大変な時期がちらっと見えてきます。でも、学生たちの笑顔に励まされると信じ頑張りたいと思います。

 

さっそく明後日から3回目の指導法演習が私を待っています。

今夜も大きい鏡の前で若しくは撮影モードにしておいた携帯端末機の前で

役者に成り切ろうしている恥ずかしいとしか思われない自分の姿を

見続けることにします。明日は少し厚かましくなれることを信じながら、、、(S・K)

 受講一ケ月を迎えて思うこと

 

 11月になり、日本語教師養成講座の受講を始めて一ヶ月が

 経ちました。


 最初に受けたのは日本語文法の中上級クラスでした。このクラスでは、語用論や待遇表現など、日本語の様々な特徴や細かいルールを学び、普段何気なく使っている日本語がとても複雑なルールの上に成り立っていること、語彙や表現の多さを学び、日本語そのものの難しさを感じて、これをどうやって教えるのだろう?とこれからの学びが楽しみになりました。 


 また教育法の授業などもうけました。この授業では初めに日本語教育をはじめとする第二言語の教育方法がどのように研究され、発展してきたかを勉強したのですが、中でも印象に残っているお話が「日本語教育は植民地政策の中で大きく発展した。日本語教師はこういった悪い歴史的背景も分かってないといけない」というお話です。日本語を勉強する人が幸せになれるように、もっと勉強したいと思ってもらえるように、より楽しく力になる授業ができる先生になれるように、努力していきたいと思いました。 


残り五ヶ月、実習なども大変不安ですが、頑張ります。(A・K)

 

 

目からウロコ!の日々

10月1日からKCP日本語教師養成講座を受講して、約1か月が過ぎました。

私は主人の仕事の都合でアメリカに約3年住んでいて、この春帰国しました。移民の多いアメリカでは、無料で通えるESL(英語を第二言語として学ぶ人たちのための英語講座)が色々あり、そこに通ったり、ネイティブの家庭教師についたりして、英語だけでなく、異国での文化や生活についても教えてもらい、大変助けられてきました。私も同じように日本で暮らす異国の方々の手助けができたら、と思ったのが、この講座を受講しようと思ったきっかけです。

結婚して以来ずっと専業主婦だったので、通学と家事との両立ができるかが心配でした。朝、子どもたちを学校に送り出してすぐに自分も家を出なければならない、というのは確かに慌ただしいですが、幸いコロナの影響で在宅ワークが増えた主人の手助けもあり、なんとかやってこられています。

授業では、今まで当たり前に使っていた日本語を分析して、なるほどこの言葉にはそのような働きがあったのか、と驚きの連続です。教師としての立場からは、授業の進行表である教案の大切さを学び、今回の講座ももちろん、今まで自分が受けてきた学校の授業も、先生方は毎回、どのような目的をもって、どのような時間配分で、どのようなことをやるか、を綿密に計画して授業を組み立てられていたのだということを知り、先生ってすごかったんだ、授業ってすごかったんだ、と改めてそのプロフェッショナルな世界に感銘を受け、過去教えてもらった先生方に感謝したい気分になりました。めんどうくさがりの私にこんな教案作成できるようになるのかしら・・・。言語の教授法の歴史も学び、今まで自分が英語を学んできた方法も、このような考えが元にあり編み出された方法だったのか、ということがわかりました。実際KCPの学生さんの授業も見学させていただき、日本語を学び始めてわずか1~2年の留学生たちが流暢な日本語を使えている姿を見て、何十年も勉強してきたはずなのに、どうして自分は英語があまり上達しなかったのだろうか・・・?と、自分の語学力のなさを教授法のせいにしてみたり・・・(笑)

「当たり前」に使ってきた日本語、「当たり前」に受けていた授業、「当たり前」に習ってきた方法、それらが実は深い緻密な世界であったことを知る、目からウロコ!の日々を送っています。(Y・k)